九月十九日は正岡子規の忌日です。
新聞記者、俳人、歌人、随筆評論家として活躍しました。俳句と短歌の革新に着手しながら長い病床生活を送りました。
墨汁一滴、病床六尺が主要な作品です。
愛媛県松山市生まれの子規は明治三十五年(1902)36歳の若さで東京根岸にて亡くなりました。墓は東京田端の大龍寺にあります。
著書に獺祭書店と署名することが多かったので獺祭忌とも言われています。

死の前日の三句が絶筆となりました。

「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな

「おととひの糸瓜の水もとらざりき」

「痰一斗糸瓜の水も間に合はず」


「子規逝くや十七日の月明に」と虚子が詠んでいます。十七日は陰暦の日にちとのことです。月の明かりが悲しみを誘います。


Screenshot_20200919-221601

老いて尚君を宗とす子規忌かな 虚子


糸瓜忌や俳諧帰するところあり
             村上鬼城

糸瓜忌や雑詠集の一作者  高野素十


鶏頭に一日執着す獺祭忌  石田波郷

Screenshot_20200919-220535


へちま水採りて子規忌を知らざりき
               慶月

正岡子規を初めて知る頃の小学校高学年の時、母が家の南側に緑のカーテンのようにへちまを育て、大きくなったころ茎をきり一升瓶に差し込みました。ぽとりぽとりと透明な水が瓶にたまっていきました。母は化粧水として使っていました。

1600344919478